9月22日(月) エゼキエル37章
「これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書37章5節
谷間に満ちる枯れ果てた骨の山、何とも不気味な絶望と静寂が満ちる情景です。しかし、主はここに復活の恵みを注ぐと約束されました。
なるほど、この預言の言葉を最初に聞く捕囚の御民は、ふてくされたままであったことでしょう。先祖の罪の報いを我々が負わされるのは不公平だ、主の道は正しくないと彼らは言っていたからです(18章2節、33章17節)。けれども、自分こそ御怒りを受けるべき罪人であることを認め、枯れ果てた骨はわたしのことであったと理解できたならどうでしょうか。望みが溢れます。
主にある私たちも、かつてはこの枯れ果てた骨々でした。自分の過ちと罪のために死んでいたからです(エフェ2章1節)。しかし、今や生きる者となりました。主が私たちを再生し、聖霊を吹き込んでくださったからです。そして、私たちは少人数では終わりません。非常に大きな集団となるのです(エゼ37章10節)。
さらに、37章の後半に約束されている僕ダビデが私たちには与えられています。この世の分断を癒す、平和の君である一人の牧者、永遠の王、主イエス・キリストがいてくださいます。共にいて、私たちを治め、導いておられます。へりくだった心で主の御声に聴き従ってまいりましょう。
【祈り】
主よ。私たちに復活の恵みをお与えくださり、王なるキリストの僕としてくださったことに感謝します。