新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:信仰について~救いの確信~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一と申します。
今週は、キリスト教信仰について共に考えてきました。今朝が、その最終回です。
最後に、キリスト教信仰について覚えておきたいのは、パウロが書き送ったテサロニケの信徒のへ手紙にあります御言葉です。「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(1テサロニケ5:10)と御言葉は言うのです。
ここでは、「わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」と言われています。私たちは、常に信仰の目を開いているとは限りません。そうである以上、もし、イエスが来られたとき、私たちがまどろんでいたら救われないかもしれない、と言う不安は解決されない問題として残ります。
しかし、ここでは、わたしたちが、目覚めていようが、眠っていようが、イエスと共に生きると言う状況は、なんら変わらないことまで約束されているのです。それは、イエスがわたしたちのために死んで下さったからであります。この十字架の救いの完全性が、ここでは約束されているのです。
歳を重ねるごとに体の機能が衰えていきます。今や、二人に一人は癌を患い、三人に一人は認知症を患うとさえ言われています。しかし、私たちがそのような状況になって、イエスを忘れてしまう時も、イエスキリストは、私たちを忘れないのです。
そもそも、救いとは無関係に、私たちは生活をしていました。しかし、イエスの方が私たちを見つけて下さったのです。そればかりか、絶対に見捨てることはない。信仰に歩む私たちから、その信仰の灯が消えることはあり得ない。なんと言う恵みでありましょうか。