8月29日(金) ローマ9章
では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ローマの信徒への手紙9章14節
パウロは9章で「神の選び」について論じています。パウロは、この神の選びの自由という主張が、人間にとって躓きとなることを知っていました。ですから、彼は問いかけています。「では、どういうことになるのか。神に不義があるのか」。パウロははっきりと答えます。「決してそうではない」と。神が不義であるなど全くあり得ない、ということです。
選びの神は不正だ、と語るとき、その人はいったいどこに立っているのでしょうか。その人は自分を、神を裁くことができる地位に引き上げています。いや、神を人間と同じ地平に引き下ろしています。つまり、あたかも神と人間が同じ尺度で測られる基準があり、その基準に照らして人間が神の不公正を追求できるかのように考えているのです。しかし、これは全くの錯覚に過ぎません。
聖書の教えを理解する上で大切なのは、自分がどこに立つかということです。自分の立脚点が誤っていれば、聖書を誤解します。予定論に対する誤解は、その最たるものでしょう。
神の選びの自由を告白することができるのは、自分が神に救われた恵みを知った人のみです。自分の救いがただ神の恵みによるという告白が、選びの告白です。ですから、それは感謝と賛美の告白にほかなりません。
【祈り】
主よ、わたしの救いの根拠が、主の側に、永遠の計画にあることを感謝します。