リジョイス聖書日課

エゼキエル25章 神の主権神の憐れみによる回復

放送日
2025年8月12日(火)
お話し
金原堅二(滋賀摂理教会牧師)

8月12日(火) エゼキエル25章

「わたしが彼らに仇を報いるとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書25章17節

25章から、南ユダを取り巻く諸外国についての預言が語られますが、ここでは特にアンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人に対する滅びが警告されています。彼らは、神の民の不幸を笑って嘲り、イスラエルが神の民であることを侮り、憎しみ、復讐しました。

 このとき、神の民イスラエルは、その悪のゆえに裁きを受けようとしていました。その際に、これらの国々は周囲にありながら忠告も与えず、かえってイスラエルが苦しみ滅んでゆくのを喜んで傍観し、その罪に加担しました。そのために、神は主権者として諸外国をも裁かれるのです。この御言葉は、国々がすべて神の主権のもとにあることを示しています。

 神は、イスラエルが国々へと散らされても、悔い改めて主に立ち帰るとき、再びイスラエルを一つに集められるお方です(申30章1〜10節)。主の契約にあっては、神の民の回復には裁きが伴います。このように、諸外国への裁きは、イスラエルの回復を予感させるものであり、実際に34章以降でイスラエルの回復が語られていきます。

 このことは、神が今もなお、神の民を愛しておられることを意味します。神の憐れみの深さは私たちの想像を遥かに超えています。

 【祈り】

 神よ、かつてあなたに背いていた私たちが、憐れみによって回復させられたことに感謝します。