リジョイス聖書日課

エゼキエル22章 神の義と聖を侮る者への主の憤り

放送日
2025年8月7日(木)
お話し
長谷部 真(堺みくに教会牧師)

8月7日(木) エゼキエル22章

「そのとき、お前たちは主なるわたしが、憤りをお前たちの上に注いだことを知るようになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書22章22節

 「神の義と聖を侮る」罪の極みと、罪に対する主なる神の憤りと裁きが描かれています。主なる神は、「自分のために偶像を造って、自らを汚す都よ」と、エルサレムの人びとの罪を糾弾します(3節)。エルサレムには虐げられる異国人や社会的弱さの中にある者たちがおり(7、8節)、不品行や不正によって歪められている秩序があり(9〜13節)、神の民の罪が極みに達していました。神の御心を忘れたエルサレムの罪を、主なる神は見逃されません。神はエルサレムの罪を憤り、その憤りは金滓を溶かす炉のように燃え上がると言われます(19〜22節)。

 主イエスは、律法学者とファリサイ派の人びとをはじめとする、表面を取り繕う指導者たちを、「偽善者」と糾弾されました(マタ23章28節)。それは、神が神の義と聖を侮る者らに憤るお方であることを示し、神に立ち帰らせるための叱責です。

 私たちもまた、それぞれの歩みの中で信仰が問われます。罪の現実の中で、神の御前に執り成してくださる御子イエス・キリストへと導かれるのです(ヘブ7章25節)。主は憤りに任せて私たちを滅ぼすのではありません。かえって、常に生きて執り成してくださる救い主へと、私たちを導き帰してくださるのです。

 【祈り】

 私たちに執り成し手である主イエス・キリストをお与えくださり、ありがとうございます。