7月29日(火) エゼキエル15章
「わたしが顔を彼らに向けるとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書15章7節
イスラエルの民がぶどうの木にたとえられています。このたとえでは、ぶどうの実は除外してぶどうの木そのものの価値を他の木と比較しています。ぶどうの木そのものはもっとも簡単な器物を掛ける釘をつくる役にも立ちません。焦げたぶどうの木は薪にさえ用いることができません。
つまり、偶像礼拝に陥って堕落したイスラエルとは、そのような何の役にも立たないぶどうの木であると言われているのです。これは神への背信によりバビロンによる神殿破壊と捕囚という憂き目にあったイスラエルのことを指しています。何の役にも立たないぶどうの木は完全に焼き尽くされてしまいます。それが背信した彼らへの裁きでした。
しかし、その裁きの中にこそ主の御心があらわされるのです。それは「わたしが顔を彼らに向けるとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる」ことです。主なる神は、罪は罪として裁かれる正しい方です。
私たちにとって大切なことは、御言葉にとどまり続けること、つまり、御言葉を信じ、主に従い続けることです。主イエスこそがまことのぶどうの木です。その主の御言葉が私たちの内にいつもあるならば、私たちは豊かに実を結びことができます。
【祈り】
主よ、どうか私たちが御言葉にとどまり続けることができますように助けてください。アーメン