申成日(広島教会牧師)
メッセージ:父母を敬いなさい
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。広島教会の申です。
日曜日の朝を迎えましたが、今日はどんな予定を考えておられますか。もしかして、一人暮らしのお父さん、お母さんのことを思っている方もおられるかもしれません。今日は、その「父母」についてのことを考えたいと思います。
わたしは今、50代半ばの者ですが、父と母をすでに10年ほど前に亡くしました。大学は4年間、学校の寮で生活しましたし、大学卒業と同時に日本に参りましたので、親と一緒に生活したのは、20年もありません。また親は、二人でクリーニング屋を経営していましたが、休日もなく、朝5時から夜12時まで店を開けていましたので、親と一緒に過ごした時間はあまりありません。
そのような親ですが、なぜか親の話をすると、涙が止まりません。親は、病気になって施設に入る直前まで仕事をしていました。わたしは、大学を卒業して早くも親元を離れたので、親孝行は全くできず、心配ばかりかけてしまった駄目な長男でした。
そのような両親が、病気になってから施設に入る前に、3か月間日本に来られたことがあります。言葉も分からない異国の地ですが、息子家族と一緒に過ごしたわずか3か月がとても幸せだったようです。父も母も、死を目の前にして、「日本に行きたい」としきりに言ってくれたことが忘れられません。最後の最後に、親孝行させてくれた両親にいつも感謝しています。
聖書は、父母について、どのように教えているのかを少し考えましょう。いろいろな教えがありますが、何よりも、旧約聖書の中で、神様がモーセを通して与えてくださった「十戒」という十個の戒めがありますが、その5番目に、「あなたの父母を敬いなさい」という教えがあります。
「5番目か…」と思うかもしれませんが、実は、4番目までは、神様についてのことが書かれていて、5番目から10番目までが、人に対することですので、人に対するその最初が、父母についてのことです。だから、人が生きる中で、父母を敬うことがどれほど大切なのかを教えていることです。
また、新約聖書には、イエス・キリストがこの十戒を二つの教えに要約されました。一つは、「あなたの神を愛しなさい」ということであり、第二が、「隣人を自分のように愛しなさい」と言うことでした(マタイ22:37-39参照)。だから、自分を愛するように「愛すべき隣人」の第一が父母である、ということです。さらに聖書は、神様のことを、父親として母親として例えることも多く出てきます。わたしたちが、自分が信じている神を大切にするように、その父親と母親も大切に敬うように、と教えています。
聖書が書かれた時代は、家族関係が今よりもっと密な関係で、子が親を敬うことは当たり前の時代でした。そのような時代なので、別に「父母を敬いなさい」という教えをしなくても、皆がそのように自分の親を敬っていたはずなのに、どうして、この教えを、人間関係の中で最も大切なこととして、最初に取り上げているでしょうか。それは、この教えが、人間関係の中で一番基本となる掟であるからです。この掟も守れない人は、人として扱うことさえできないようなことだと思います。
時代が変わっても、自分を産んで育ててくれた親を大切にすることは、人として生きるための基本ですが、わたしたちは、あまりにも身近な存在であるがゆえに、その存在が生きている時はあまり大切にしないで、この世では再び会うことができなくなってから、お墓の前で後悔することが多いのではないかと思います。
もし、父母がまだ存命中であれば、今日、その親に、愛の気持ちをもう一度示してみてはいかがでしょうか。親は、神様からの最高のプレゼントです。
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