6月14日(土) 詩編84編
主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。
命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編 84編3節
詩編84編は、神を礼拝する幸いを歌っています。「万軍の主よ、あなたのいますところは、どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです」と詩人は歌います(2、3節)。詩人にとって、主の庭とは、主がその名を置くと誓われたエルサレム神殿のことでしょう。今の私たちにとって主の庭は、主の日に集って礼拝をささげる教会であると言えます。
礼拝に出席したいと願いながら、さまざまな事情で集うことができないことがあります。コロナ禍において、教会堂で礼拝をささげることができるのは当たり前ではないことを教えられました。それを思い起こすとき、「いかに幸いなことでしょう、あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら」(5節)という詩人の言葉は、私たち自身の言葉となります。
「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」(11節)。このような恵みを、私たちも主の日の礼拝においていただいています。礼拝は、神の恵みと栄光にあずかることができる時と場所であるのです。
神は、私たちを主イエス・キリストにあって、完全な道を歩む者と見なしてくださり、私たちに良いものを与えてくださるのです。
【祈り】
天の父なる神よ。礼拝において、あなたの恵みと栄光にあずかることができる幸いを感謝いたします。