5月31日(土) 箴言17章
口数を制する人は知識をわきまえた人。
冷静な人には英知がある。
無知な者も黙っていれば知恵があると思われ
唇を閉じれば聡明だと思われる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』箴言17章27〜28節
箴言17章には、自己吟味を迫られる言葉が散りばめられています。
「乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば、いけにえの肉で家を満たして争うよりよい」(1節)。貧しい家庭が美しく、裕福な家庭が醜いというのではありません。パンが一片だけですから、分け合うほかありません。分け合うところに平安があるのです。肉がたくさんあっても自分の満足を求めるだけならば、争いになるでしょう。分かち合うところでこそ、人は本当に満たされます。
「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く」(9節)。「罪を覆う」とは、罪を赦して、責任を問わないことです。神は御子の十字架のゆえに、私たちの罪を問うことなく(ロマ8章1節)、キリストの白い衣で覆ってくださいます。それゆえ、私たちも互いへの愛で互いの罪を覆います。ところが、その前言を翻して罪を責め、仲違いしてしまうのが私たちの現実です。罪の赦しがどれほど困難なことかと思わせられます。
「口数を制する」「唇を閉じれば聡明だ」とは、ただ「沈黙は金」というこの世の格言ではありません。自らの口を閉じて、神の御言葉に聞くことの勧めです。そのとき、聖霊が私たちに働いて私たちをきよめ、造り変えます。御言葉によって悔い改める歩みを日毎に重ねて参りましょう。
【祈り】
主よ、御言葉と聖霊によって私たちをきよめ、造り変えてください。