4月27日(日) ヨハネ20章19-31節
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネによる福音書20章21節
週の初めの日の夕方、復活の主が、ユダヤ人を恐れて閉じこもっていた弟子たちの中に現れてくださいました。「あなたがたに平和があるように」。復活の主との出会いは、弟子たちに平和をもたらします。「弟子たちは、主を見て喜んだ」と記されます。
ところが「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、…彼らと一緒にいなかった」というのです。疎外感を覚えたのでしょう。自分以外の者たちは皆、復活の主をその目で見て喜んでいたからです。トマスは「みんなが信じるなら僕も信じよう」と言える人ではなかったようです。「皆と同じように信じることはできない。だってその場にいなかったのだから。あの方の手に釘の跡を見、釘跡に触れるまで、わたしは決して信じない」。疑い深いトマスと言われる所以です。
見方を変えれば、トマスは誠実な人です。信じるなら納得して信じたい。喜んで信じたいのです。しかし、今は信じられない。それは「自分だって信じたい」という気持ちの裏返しでしょう。そのようなトマスを、主は確かな信仰へと導かれました。
「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。復活のキリストに出会い、喜んで信じた者たちが、そこから遣わされていくのです。
【祈り】
主よ。私たちは自分の信仰をごまかすことはできません。正直に御前に立つ者を、受け入れてください。