長田 詠喜(新所沢教会牧師)
メッセージ:心残りはありますか?
おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
私は、牧師という仕事柄、他の方より、生死に関わる事が多いと思います。
時々、亡くなった方のことを話す時に、「心残りなく亡くなった」と言われる事があります。逆に、「心残りがあるだろうな」と感じることもないわけではありません。世間では、あまりにも心残りがあると、その思いがこの世に残ってどうにかなってしまうので、そうならないように、などと言ったりもします。
けれども聖書は、私たちの悩みや心残りは、生きている間、この世にいる間だけのことだと教えています。というのも、私たちが色々と心配するのは、私たち自身が限られた人生の中で、自分で自分の問題を解決しようとする結果なのです。
私たちが人生を終える時には、むしろ生きている時の様々な悩みや苦しみからは解放されます。生きている時の心配事は、神様のところに行けば、全て神様に解決していただけます。それは、私たちが願っていた通りではないかもしれませんが、私たちが願っている以上の、最も良い解決を得られるのです。
ですから私たちは、亡くなった方たちのことであれこれ心配したり、何かしてあげる必要はありません。むしろ生きている私たち自身が、よりよい解決を迎えられるように願って参りましょう。
聖書を読みます。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)