久保浩文(松山教会牧師)
メッセージ:変わらない神の言葉
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会牧師の久保浩文です。
私たちは、情報化社会に生きています。スマートフォン、パソコンでホームページを検索すれば、必要な情報、知りたい情報を簡単に得ることが出来ます。
公共の乗り物の運賃を支払う場合も、キャッシュレス決済であれば、現金払いよりも安く済む場合があります。時折、電車やバスに乗って周囲を見回しても、かつてのように、本や雑誌などを広げている人は滅多と見かけなくなり、殆どの方が、必ずと言ってよいくらいスマホを手にして、画面に集中している光景を目にします。
私は、依然として紙の本の愛好家で、分からない言葉、単語は、紙の分厚い辞書を引いて調べる方が多いです。確かにスマホは、時と場所を選ばずに、必要な情報を直ぐに与えてくれる便利なものですが、それが必ずしも、正確な情報とは限りません。
数年前の新型コロナウィルス感染症が蔓延した折、いわゆるフェイクニュース、虚偽の情報に惑わされる危険性がありました。今流されている情報は、果たして信頼に値するものかどうか、情報源は何か、何を根拠にしているかなど、信憑性を問わざるを得ないものも多く流されました。
そのために多くの人が、ただ三密を嫌うというだけでなく、人との接触を過敏なほど避けていた時期もありました。そんな中で、ある種の孤独感に陥り、不安と恐れの中で、心に平安をなくしている人たちも多く見受けられました。
時代や生活環境が変わっても、今なお私たちに、真の慰めと平安を与えてくれるものはないのでしょうか。それは、神の言葉である「聖書」です。主イエスの弟子であるペトロは、イザヤという預言者の言葉を引用しながら、決して変わることのない唯一のものは、神の言葉であると語っています(1ペトロ1:24-25参照)。
イザヤの預言は、当時の強大な国であるバビロンに翻弄されるイスラエルの人々に対して、バビロンの栄耀栄華は一時期のもの、その華やかさは草花に似て、やがて枯れ、散るべきものであり、恐れることはないこと、神の言葉は永遠に変わることがなく、信頼に値することを教えています。
現代の私達がおかれている世界の現実は、まさにこれと同じです。私達は、情報化社会に生かされ、日々、様々な情報が飛び交っています。戦争や災害のニュースは、私たちを不安にし、次々と生み出される新商品の広告は、私たちの目を惑わし、心奪われる誘惑に満ちています。しかし、どれ一つとして、永久不変なものはありません。それらは、時間と共に忘れ去られていくものです。
「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(1ペトロ1:25)のです。神の言葉の永続性と確実性に、目を留めなければいけません。私達の希望は、この神の言葉にあります。いかに時代と世界が変化しようとも、神の言葉は、永遠かつ不変であり、その時代を生きる人々に、罪の赦しと永遠の命と希望を与え続けるものです。「これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」(1ペトロ1:25)
私達は、この確かで不変の神の言葉、福音を、堅固な人生の土台として歩みたいと思います。
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