牧野信成(長野まきば教会)
メッセージ:続・旧約聖書の女性たち エフタの娘
おはようございます。長野まきば教会の牧野信成です。
「エフタの娘」を取り上げましょう。
エフタは「遊女の子」(士師11:1)だ、と紹介されています。出自ゆえに、同胞から軽蔑され、見捨てられます。ならず者たちと一緒に生活をしていました。彼にあったのは、ただ神の召しだけです。
エフタには、結婚前の一人娘がいました。出陣する際、敵に勝利して無事に帰って来た暁には、最初に家から迎えに出た者を犠牲としてささげます、と、エフタは神に軽率な誓いを立てます。しかし、一時の高揚に酔いしれ、軽率な誓いをたてたエフタは、打ちのめされます。敵を見事に打ち破って帰宅した彼を、歓喜に満ちた顔で戸口から飛び出し、迎えたのは、なんと一人娘だったのです。
神にたてた近いは必ず果たさなければならない、それがイスラエルの掟でした。娘も、そのことは十分に承知していました。そこで彼女は、2か月間、友人たちと共に山で嘆いた後、父の誓った通りに命をささげました(士師11:30-40参照)。
彼女の嘆きを、聖書は詳しく伝えません。名もなき娘の不条理な死に思いせを馳せよ、と促しているようです。軽率な誓いをたてたエフタの責め苦については、想像するしかありません。
神は、人間の犠牲を決して求めません。軽率な誓いをも求めません。孤独なエフタの慰めであった娘の非業の死は、冷静な判断を欠いた状態でたてる誓いと信仰をはき違えることの恐ろしさを、後のイスラエルに伝えました。