キリストへの時間

神と共に歩む人生

放送日
2025年3月2日(日)
お話し
久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ:神と共に歩む人生

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会牧師の久保浩文です。
 今年も早、3月を迎えました。世間では、「2月逃げる3月去る」と言われます。3月は年度末ということもあり、慌ただしく時が過ぎ去るのを感じます。

 私も来月で、満64歳を迎えます。私が生まれ育った地元の中学、高校時代の友人たちは、60歳を迎えると共に、定年退職の時を迎えました。しかし、その多くは、65歳まで勤め先の会社や団体と再雇用や嘱託契約を結んで働き続けています。

 日本社会の高齢化がいわれて久しくなります。昨年発表された日本人の平均寿命は、男性が81.09年、女性は87.14年だそうです。しかし寿命が延びること、長生きをすることが即、幸福であるとは必ずしも言えない、という現実に、気づいている人も増えつつあるように思います。

 旧約聖書の創世記5章には、私達の想像を絶する長生き、長寿の人々の名前と、生きた年数が記されています。930年生きた、895年生きたとか、驚くべき年数です。あくまでも系図ですから、そこには、その人がどんな生涯を歩み、どのような最期を迎えたかなどは記されてはいません。900年もの間、人々は果たして、どんな人生を送ったのでしょうか。

 この長寿者リストの中で、人生の意味を教えてくれるのが「エノク」という人です。「エノクは三百六十五年生きた」(創世記5:23)と記されており、彼は、他の人たちと比べてとても短命です。現代の基準で考えると、他の人が93歳とか89歳まで長生きしたのに、エノクは、わずか36歳ほどで亡くなりました。

 では、エノクの生涯は不幸だったのでしょうか。その答えは、他の人々の記事とは違う、一つの文章によってわかります。他の人達は、「何年生き、そして死んだ」と繰り返されているのに対して、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5:24)と記されています。「取られる」は、「連れ去られる」とか「移される」という意味です。

 ではエノクは、どこに移されたのでしょうか。それは、「天」です。エノクも、他の人と同じように65歳になった時、メトシェラをもうけて人の親になりました。彼は、その時に信仰をもち、神と共に歩み始めました。その後も彼は、「300年間神と共に歩み」(創世記5:22)ました。彼の後半生は、神から離れず、神と共に歩んだのです。

 「神と共に歩む」とは、神を信じて、神の言葉に従い、何処にあっても、臨在される神との交わりの中で生きることです。彼の人生は、他の人と比べて短いとはいえ、様々な出来事があったことでしょう。喜びの時もあれば、悲しみの時もあったことと思います。しかしエノクは、どのような境遇にあっても、神への信仰を失わずに、神と共に歩んだのです。

 聖書は、「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。」(ヘブライ11:5)と記しています。エノクが神と共に歩んだその過程において、神がエノクを喜ばれたので、彼は死を経験することなく、神の御許に召されたのです。

 365年といえば、当時では人生の盛りであり、エノクにも、彼なりの様々な生活設計があり、これからという頃でした。その意味では、彼は志半ばで神の許に召されました。しかし、人生の価値は、その人の地上の命の長さによって決まるのではありません。たとえ、平均寿命の半ばに達しないで世を去ったとしても、神に喜ばれる人生を歩んだ人は、有意義な人生を送ったといえるのではないでしょうか。

 他の人々の人生が空しく過ぎ去っていく中で、「神と共に歩んだ」エノクの生涯は、輝かしく、永遠に記憶される生涯だったのです。はるか後の詩人も、次のように言っています。「(神よ)あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」(詩編84:11)

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