大木信(西鎌倉教会牧師)
メッセージ:光なる主イエス
おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
私がおじさんになったからでしょうか。若い子たちの無邪気に楽しそうにしている姿が、まぶしく尊いものに見えてくる。エネルギッシュであり、まるで、その場だけが飛び出して光を放ち、こちらに迫って来るかのように見える。若さへの羨ましさ、憧れと同時に、ひと時ゆえの儚さも感じる。更には、別の人生が今私には与えられている、このような使命感などにも思いを巡らすひと時です。
イエス様のことが、聖書では、「光」で表現されることがあります。「人間を照らす光」(ヨハネ1:4)といった表現が、これにあたります。私たちは、真っ暗な所を光やともし火なく歩くことは困難です。まさに、手探り状態で少しずつしか進めない。
また、長く暗闇を歩き続けていますと、正しく進んでいるのかどうかも分からなくなってしまう。目的地どころか、現在地まで分からなくなってしまいます。私たちの人生が、暗闇のようであってはならない。そのための光なる方こそ、イエス様だと、聖書は教えています。
少しずつ、冬から春への足音。昼の光の時間が伸びてきています。草木もまだ変化は見られないかもしれませんが、確実に春支度をしています。暗闇の生活ではなく、光に耐えうる生活、イエス様が共なる生活を送りたく思います。
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