リジョイス聖書日課

2ペトロ2章 滅亡の奴隷か主の奴隷か

聖書日課
2020年9月21日(月)

2ペトロ2章 滅亡の奴隷か主の奴隷か

  

わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。(2ペトロ2:20)

 「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知」るならば、「世の汚れ」から逃れることができます。世の汚れは私たちの目には何ものにも勝って強い力を持つように見えることもあります。しかし、救い主を深く知るならば、世の汚れから逃れることができるのです。

 ただひとたび、世の汚れから逃れても、それに「再び巻き込まれ」ることがあると書かれています。それも、「再び巻き込まれて打ち負かされる」ことがあると言うのです。「打ち負かされる」ことがあるのは当然と言えば当然でしょう。世の汚れは人にとって力あるものです。人を「滅亡の奴隷」(19節)にするほどのものなのです。もし、私たちが再び巻き込まれることがないとすれば、それは、私たちがキリストを深く知るのみならず、キリストをまことに「わたしたちの主、救い主」としたときでしょう。

 私たちは強くありません。「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」と言われています(22節)。しかし、キリストを主とする主の奴隷である限り、私たちが「滅亡の奴隷」へと逆戻りすることはありません。主こそ、何にも勝って力ある方だからです。

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