あさのことば

聖書の中の「はだか」4裸になる時

放送日
2020年6月3日(水)
お話し
野島邦夫(日本キリスト改革派教会牧師)

野島邦夫(日本キリスト改革派教会牧師)

メッセージ: 聖書の中の「はだか」4裸になる時

 いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
 聖書の中には、人の裸について印象的な場面があります。今回のシリーズでは、そのような幾つかの箇所を考えています。

 イエス・キリストがついに敵に捕らえられる時、一緒にいた仲間の一人の若者が「人々が捕らえらようとすると、亜麻布の衣を捨てて裸で逃げてしまった。」とあります。(マルコ14:51)この若者の気持ちは理解できます。敵が私の衣に手をかけて、身の危険が迫った。衣服どころではない、恥ずかしいなどと言ってはおれない。そんなことより助かることだ、と。

 私たちはいつでも衣服を身に着けて生活しています。この衣服とは、物質の衣服のこと、さらに自分の内面を隠して、社会人としての自分を演じるための仮面、自分の社会的価値を保ち高めるレッテルです。
 しかしこの若者のように、危険が身に迫り衣服どころではないという経験を、人生の中で誰もが一度か二度はするにちがいありません。それはいわば「人生の危機」の時…自分が裸にされる時、弱く醜い自分が露わになる時、そのことを自分で認めざるを得ない時です。

 しかし、それは同時に神が間近になる時です。神の子イエス・キリストに救いを求めて、神とのきずなを取り戻すチャンスの時です。ありのままの自分が受け入れられ愛されるという喜びは、どんなに大きいことでしょうか。

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