あさのことば

幸いが来る

放送日
2017年8月2日(水)
お話し
杉山昌樹(新座志木教会牧師)

杉山昌樹(新座志木教会牧師)

メッセージ: 幸いが来る

 いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
 主イエスはある時に、小高い丘の上に弟子たちと群衆とを連れて行って教え始められました。その第一声は「心の貧しい者は幸いである」でした(マタイ5:3 私訳)。

 有名な言葉ですが、同時に分かりにくい言葉でもあります。この場合の「心の貧しい」という言葉は、教養がないですとか、品性が低いと言ったことではありません。もっと根本的なところで、たよりとするものが自分自身の中にまるでないということです。

 昔取った杵柄という言葉があります。昔しっかりとしたものを身につけていたので、今でも何かができるということですが、そのような「腕に覚えがあるので食いっぱぐれない。」というものが何もない状態が「心の貧しさ」です。それはあまり幸いではないようにも思われます。しかし主イエスは、そのような貧しい人に天の国があると言われます。なぜでしょうか。

 実は主イエスご自身が別の時に、「私は柔和な者だ」と言っておられました(11:29より)。この場合の柔和さとは「弱さ」です。完全な弱さの中にある私はいつでも神様にすがって生きているし、そうならざるを得ない、しかし、そのような柔和さの中にこそ、安らぎがあり休みがある、と言われたのでした。私と同じように、柔和で、心の貧しい者、すがるものがない人が神様にすがるその所に、天の国が存在するようになる、それゆえその人は幸いなのだと、主イエスは言われたのです。

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