自分の十字架を背負って | マタイによる福音書 16章21-28

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マタイによる福音書 16章21-28

それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 16章24節

自分の十字架を背負って

いよいよエルサレムへ向かうことを決意された主イエスは、これからご自分が多くの苦しみを受けて殺されること、そして3日目に復活することを弟子たちに打ち明け始められました。ところが、その言葉を聞いた弟子のペトロは、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言って、主イエスを諫めました。

自分の思いと神の示す道が異なるときに、このペトロの言葉は私たち自身の呟きになります。しかし、そのような呟きに主イエスは「あなたは…神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われます。そして、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と命じられます。「自分の十字架を背負う」とは、人生の重荷や苦しみを背負うことだけではありません。最も大切なことは、自分を捨てて、十字架の死に至るまで主イエスに従っていくことです。主イエスに従う道において背負う十字架は、苦しみと死の予告だけでなく、「3日目の復活」を約束された主イエスの「復活の命」へと私たちを導く命の十字架なのです。そして、その自分の十字架を背負って歩く私たちの前にはいつも、私たちの罪と死の十字架を私たちの代わりに背負って歩く主イエスの後ろ姿があります。

【祈り】

主よ、私たちを、自分の十字架を背負って主の後ろに従っていく者とならせてください。

堂所 大嗣(恵那教会)