あなたがたは世の光である | マタイによる福音書 5章13-20節

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マタイによる福音書 5章13-20節

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章14節

あなたがたは世の光である

主イエスは、主を信じ従う者に、あなたがたは「世の光になれるだろう」ではなく、「世の光である」とおっしゃいます。「人間を照らす光」(ヨハ1章4節)である主イエスが、その人の内側におられるからです。

私たち自身が、光り輝くのではありません。神が、光であられる主イエスという宝を土の器である私たちに与えてくださっています(2コリ4章7節参照)。それゆえ、私たちが光を放つものとされているのです。

その光は、山の上にある町のように、暗闇の中で燦燦と煌めいています。闇の深まりの中でこそ、光は鮮やかにされます。

主イエスは、世の光の輝き方について、「~は幸いである」という言葉でお示しになります。心の貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人、憐れみ深い人、心の清い人、平和を実現する人、義のために迫害される人は幸いである、と主はおっしゃいます。心砕かれつつ神に寄りすがる人、神の愛のゆえに他人の弱さを認め、真の平和に生きようとする人は、幸いな人であり、世の光としての輝きを放つのです。

拍手喝采を浴びる立派な行いではなく、主イエスの愛に生かされ、へりくだって歩む、その小さな一つ一つが、闇に輝く光となるのです。

【祈り】

主よ、欠けの多い土の器ですが、命の光を放つ世の光として歩むことができますように。

國安 光(淀川キリスト教病院)