キリスト者の自由の恵み | ガラテヤの信徒への手紙 5-6章

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ガラテヤの信徒への手紙 5-6章

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 5章13節

キリスト者の自由の恵み

私たちは、自由というと自分の思いどおりに振る舞うことと考えます。そうした生き方は一歩間違えると放縦に陥り、私たちを罪の奴隷にしてしまいます。

パウロは、キリストに贖われた者は罪の奴隷に舞い戻ってはならないと言います。彼は、「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」と勧めます。「仕える」と訳されている元の言葉には「奴隷になる」という意味があります。キリストによって罪の奴隷状態から自由にされた者は、今度は進んで隣人の奴隷となって仕えなさいと言うのです。

マルティン・ルターは、著書『キリスト者の自由』の中に「キリスト者は自分自身において生きることはなく、キリストと隣人において生きる」と記しています。信仰者は信仰によってすべてのものをキリストの内に持っているのです。

かつての私たちは、自分のために、自分の願ったとおりに生きる自由を追い求めていました。しかし、キリスト者になった現在は、自分のことは後回しにして、隣人に仕えるようになりました。キリストがもたらした自由が、私たちを大胆に、隣人のもとへ赴かせるのです。ここにキリスト者の自由の恵みがあります。

【祈り】

主よ、あなたからいただいた自由を、互いに愛をもって仕えあう機会としてください。

細田 眞(福島伝道所)