「神の日」に向かって | ヨブ記 24章

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ヨブ記 24章

なぜ、全能者のもとには
さまざまな時が蓄えられていないのか。
なぜ、神を愛する者が
神の日を見ることができないのか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 24章1節

「神の日」に向かって

ヨブの告白は続きます。そして、彼は問います(1節)。聖書協会共同訳は1節を次のように訳しています。「全能者は時を隠していないのに、なぜその方を知る者がその日を見ることができないのか」。

ヨブが問題としていたのは、神は正義のお方なのに、悪人の所業、善人の悲惨をご存じないかのように振る舞われるのはなぜかということです。

しかし、神は、悪人、つまり、ご自身に逆らう者の所業をよくご存じです。また、善人、つまり、ご自身を愛する者の悲惨をよくご存じです。神には神なりのご計画があり、今は、ご自身に背く者が栄えるようにしておられます。

このことは、聖書全体で言いますと、主イエスが再臨なさって行われる最後の審判で、全人類によって、神が憐れみと正義のお方として崇められるためなのです(フィリ2章10、11節)。この「神の日」にこそ、全能者を知り、愛する者は、あらゆる悲惨から救われます。

きょうも、この「神の日」に向かって希望をもって歩むことができますように。

長谷川 潤(四日市教会)