サムエル記上 16章
しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 サムエル記上 16章7節
主は心によって見る
望月 信(鈴蘭台教会)
しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 サムエル記上 16章7節
望月 信(鈴蘭台教会)
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なおサウルは王位にとどめられます。しかし、主なる神は、ひそかに新しい王を選び出して、油を注がれます。
イスラエルの王制は、周辺諸国と戦う指導者を求める民の願いによって始まりました。それゆえ、神の承認と油注ぎのもとではありましたが、「民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」と言われるように(10章23節)、サウルは外見的な評価が優先して立てられた王でした。
「人間が見るようには見ない」とおっしゃって、主が選ばれたのは、いけにえの会食に参加することさえまだ許されない、末息子ダビデでした。ダビデは、「血色が良く、目は美しく、姿も立派」な少年でした。しかし、主はその外見を御覧になったのではありません。「主は心によって見る」、すなわち、主はご自身の憐れみの心によって御覧になり、ダビデを愛して選び出されました。ダビデは神に愛されて、「まさに主が共におられる人」でした(18節)。
ダビデは、この後、竪琴を弾く者、サウルの武器を持つ者として、宮廷で訓練を受ける機会を与えられます。そのダビデを支えたのは、ただ主の愛と憐れみなのです。