キリスト者の赦し合い | フィレモンへの手紙 15節

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フィレモンへの手紙 15節

恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィレモンへの手紙 15節

キリスト者の赦し合い

フィレモンへの手紙は、教会の交わりに欠かせない赦し合いを私たちに教えています。奴隷であるオネシモは、主人であるフィレモンの家から逃げ出しました。しかし、逃亡先でパウロに出会い、悔い改めて、福音宣教に仕える者、「役立つ者」に変えられました。そのオネシモを戻すので、赦してほしい、というのがパウロの願いです。

大切なのは、「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません」(15節)とパウロが言っているところで、その背後に主なる神様の導きがあるということです。両者の地上的な関係は「しばらく」で、逃亡奴隷とその主人というものでしたが、主にある関係は「いつまでも=永遠」で、「愛する兄弟(16節)」というものに変えられるのです。

パウロは、自分が「キリスト・イエスの囚人」であることを繰り返しながら(1、9節)、フィレモンに懇願しています。私たちキリスト者は全て「キリスト・イエスの囚人」であり、これが主にある私たちの関係の土台で、ここにだけ真の赦し合いは生まれます。

新井 主一(高島平キリスト教会)