イザヤ書 61章
主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 61章1節
アドベントのしるし
ステファン ・ファン・デア・ヴァット(神戸改革派神学校)
主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 61章1節
ステファン ・ファン・デア・ヴァット(神戸改革派神学校)
2019年12月の聖書日課をまとめて表示します。
「イザヤ書」の聖書日課をまとめて表示します。
ステファン ・ファン・デア・ヴァットが担当した聖書日課をまとめて表示します。
間もなくアドベントが終わります。この日、預言者イザヤはこのように語りかけます。「救い主の姿はこのようにあって、彼の御業はこのようですよ」と。このとき、私たちに求められていること、それは、「信仰」です。
しかし、神の国は「未だ」到来してはいません。この世の中には御国に反するようなしるしばかりです。私たちがアドベントの信仰を持つことは決して簡単ではありません。しかし、私たちはなおも信じて待ち望みます。
メシアが来られる時に、貧しい人に良い知らせが伝えられます。打ち砕かれた心が包まれます。捕らわれ人には自由が、つながれている人には解放が告知されます。嘆いている人びとが慰められ、彼らに灰に代えて冠がかぶせられます。嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために、メシアは来られます。これがアドベントのしるしです。目を見張るようなことではなく、ささやかで、みすぼらしく、小さな見落としてしまいそうなしるしです。主は「わたしにつまずかない人は幸いである」(マタイ11章6節)と言われています。