あなたは責任転嫁をしていないか | エゼキエル書 18章

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エゼキエル書 18章

悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 18章21節~23節

あなたは責任転嫁をしていないか

バビロン捕囚の後、エルサレムに残った人びとは、「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と口にしていました(2節)。バビロン捕囚は先祖の罪の結果であり、自分たちには責任がないということです。これは十戒の第二戒、「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」(出20章5節)を悪用したもので、自らの罪の責任転嫁、当事者意識の欠如にほかなりません。

主なる神は、あなたが主の御前に立ち、自らの姿を顧みることを求めています。「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタ7章3節)とおっしゃる主の御前に、思いと言葉、行いのすべてにおいて自らを顧みることが必要です。

「すべての過ちから離れて、…正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる」。これが主なる神の約束です。自らの罪を悔い改め、主に従おうとする者は、「新しい霊」が与えられ(31節)、キリストにある新しい命に生かされます。主イエスと共に十字架に架けられた囚人(ルカ23章43節)と姦淫の女(ヨハ8章11節)がその証しです。

辻 幸宏(大宮教会)