エフェソの信徒への手紙 2章11-22節
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章14節~16節
和解
杉山 昌樹(上福岡教会)
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章14節~16節
杉山 昌樹(上福岡教会)
2019年8月の聖書日課をまとめて表示します。
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11節では、「あなたがた」と語りかけられています。それは異邦人キリスト者を指しています。しかし、14節では「わたしたち」という言葉に変わっています。その場合の「わたしたち」は、ユダヤ人キリスト者だけでなく、すべてのキリスト者にとって、という意味になるはずです。
それは、全く新しい状態の現れです。そして、その新しい状態である「一人の新しい人」は、ただ十字架を通して実現した、とパウロは指摘しています。さらに、十字架において「敵意が滅んだ」と言います。私たちが生物として生きていく上で、敵意は必要なことにも思われます。「わたしとその他」、「我々とそれ以外の人たち」を区別して、自分たちのための平和を追求するという生き方の根深いところに敵意が組み込まれているように見えます。
しかし、主イエスは敵対する者たちに一切逆らわないという十字架の死によって、この敵意に打ち勝ちました。それゆえ、十字架の死そのものが勝利なのです。
私たちは、このキリストによって新しくされた人として、どこにあっても和解と一致を目指して歩みます。