責められることのない良心を保つ | 使徒言行録 24章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

使徒言行録 24章

「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 使徒言行録 24章16節

責められることのない良心を保つ

パウロはローマ総督の前での弁明の中で、自らの生き方の基本について、次のように語りました。「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています」。

キリスト者にとって、良心は大切な意味を持ちます。良心とは善悪の価値判断をする心の働きであり、「責められることのない良心」を保つことがキリスト者にとって大切です。しかし、良心は、それ自身がキリスト者の道徳生活の誤りのないガイドになるのではありません。なぜなら、聖書が教えるように「邪悪な良心」や「汚れた良心」もあり得るからです(テト1章15節参照)。それゆえ、良心は、聖書によって教えられ、聖霊によって聖められる必要があります。

良心が惑わされることもあります。しかし、聖書によって聖められるとき、良心は人を神への服従へと導き、悔い改めを促す有効な手段となります。私たちは、聖められた良心を持つように促されています。そして、「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つ」ことが大切なのです。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)