新しい命に生きる | エフェソの信徒への手紙 2章

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エフェソの信徒への手紙 2章

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章10節

新しい命に生きる

私たちは、かつては創造主なる神を知らずに生きていました。何もかもが自分の思い通りになると思い込み、欲望の赴くままに行動していました。自由を謳歌しているようで、実のところ「空中に勢力を持つ者」(2節)すなわちサタンの支配の下に置かれており、神の怒りを受けるべき罪の奴隷になっていました。その行き着く先は死と永遠の滅び。「罪が支払う報酬は死」です(ロマ6章23節)。

しかし神は、御自分に敵対し、罪の中に死んでいた私たちを捨て置かれずに、御自分の御子イエス・キリストを呪いの十字架に付け、死者の中から復活させられたことによって、神との和解を得させられました。罪のために死んでいた私たちはキリストにあって古い自分に死に、新しい命、永遠の命に復活させられ天の王座に着かせていただけるのです。

私たちが救われたのは、これからの人生を自らの楽しみ、栄光を求めて生きるためではありません。新しい命を与えられた私たちは、造り主なる神の目的に従い、地上において与えられた使命と役割の中で主に仕え、栄光をすべて神に帰して生きるのです。

久保 浩文(松山教会)