行いを伴う信仰 | ヤコブの手紙 2章

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ヤコブの手紙 2章

行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヤコブの手紙 2章17節

行いを伴う信仰

罪人が救われるのは、イエス・キリストへの信仰によってのみであり、決して善き行いによってではないということ。これは救いについての聖書の中心的な教えです。キリストは神の裁きを受けて十字架上に死に、3日目に復活されました。それは、私たちがこのキリストのみを自分の救い主と信じて、救われるためです。

キリストを信じるとは単に、頭の中で聖書の教えを本当だと思う、口でそう語るということにとどまるものではありません。信じるとは(正しい理解を含め)信頼する、依存する、従うことです。分かりやすく言えば、キリストが生きられたように生きることです。

主は神の愛の御心である律法を真剣かつ十分に実践されましたが、これは神に対する主の信仰の証です。私たちもキリストにあって、聖霊に導かれて、聖書に啓示されている神の御心を可能な限り実践することが重要です。それが、キリストを信じるということなのです。ヤコブは決して信仰プラス行いと言っているのではありません。行いは信仰の必然的な実りなのです。

市川 康則(千城台教会)