マタイによる福音書 22章15-22節
イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 22章20節~21節
神のものは神に返しなさい
小澤 寿輔(ウェストミンスター日本人教会)
イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 22章20節~21節
小澤 寿輔(ウェストミンスター日本人教会)
2018年10月の聖書日課をまとめて表示します。
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「皇帝に税を納めるべきか否か」というファリサイ派の人びとの質問は、どちらを認めても陥れられることになる、巧妙に仕組まれたものでした。それに対して、主イエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とお答えになりました。
ここで主イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と問いかけて、デナリオン銀貨には皇帝の肖像と銘があるゆえ、皇帝に返すことをお認めになりました。しかし、それだけではありません。「肖像」という言葉には「像、似姿」という意味があります。創世記1章27節に、人間は「神にかたどって創造された」と書かれています。つまり、デナリオン銀貨に皇帝の肖像が刻まれているように、人間には「神の像」が刻まれているのです。それゆえ、人間の全存在は神のものなのです。
「あなたがたは、神の像の刻まれている者である。それゆえ、その心も体も命も、すべて神のものとして相応しく神にお返ししなさい」と、主イエスは教えておられます。人生のあらゆる領域で、自分自身を神に献げ、神の栄光を現すことが、私たちキリスト者の生きる目的です。