祈りの必要性 | ルカによる福音書 3章

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ルカによる福音書 3章

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 3章21節~22節

祈りの必要性

主イエスはメシアとしての働きをお始めになる前に、洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになりました。それは主イエスが十字架に向かって歩まれる救い主として、常に罪人の側に立ってくださるお方であることのしるしでした。そのようにして主イエスは「罪人のひとりに数えられた」のです(イザ53章12節)。

ヨハネから洗礼をお受けになった後に真っ先に主イエスがなさったことは、「祈り」であったということに注目したいと思います。主イエスは神の独り子だからといって楽々とメシアとしての務めを果たされたわけではありません。むしろ「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、…祈りと願いとをささげ」られたのです(ヘブ5章7節)。

そうであるならば、私たちが神によって与えられたそれぞれの使命を全うするためには、よりいっそう祈りが必要です。悪魔は私たちが祈ることをさまざまな仕方で妨げますが、私たちも主イエスにつながる神の子であることを覚えて、聖霊の導きを祈り続けたいと思います。神は必ず祈りに応えてくださり、聖霊で満たして、力を与えてくださいます。

吉田 実(但馬みくに伝道所)