命である血 | レビ記 17章

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レビ記 17章

生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 レビ記 17章11節

命である血

なぜ十字架上でイエス・キリストの「血」が流されなければならなかったのか。きょうの個所は、このことの重要性を深く教えてくれます。

「生き物の命は血の中にある」という言葉が3度繰り返されています。それゆえに「いかなる生き物の血も、決して食べてはならない」と厳格に命じられ(14節)、ユダヤ人は今も、適切に血抜き処理した肉しか食べません。

ところが、血を決して口にしないユダヤ人に、主イエスは血を飲めと言われたのです。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。…わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。…わたしの血はまことの飲み物だからである。…わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(ヨハ6章53~56節)。

これを聞いたユダヤ人が「実にひどい話だ」と言ったのも無理はありません。しかし、レビ記によってこの言葉の真意が分かってくるのではないでしょうか。主イエスの血によって、私たちは主の命をいただいたのです。

赤石 純也(伊丹教会)