何に頼って生きるのか | イザヤ書 36-37章

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イザヤ書 36-37章

「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。
ただ舌先だけの言葉が戦略であり、戦力であるのかとわたしは言う。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 36章4節~5節

何に頼って生きるのか

人は、家族や友人、仕事やお金などいろいろなものを頼りにして生きています。その中で何が一番大事かと問われても、すぐに答えることは難しいでしょう。生きていく上でなくてはならないものがたくさんあるからです。

しかし、キリスト者であるなら、「神を頼って生きています」と答えることができます。「信じていた人が自分を裏切っても、確かだと思っていたものがなくなったとしても、神だけはわたしの前から消えることなく、わたしを支え続けてくださるのです」と告白することができるのです。

時に、「そのようなものを信じていて本当に大丈夫なのか」と問われて、「これで大丈夫なのか」と不安になることがあるかもしれません。私たちには、信仰が揺さぶられ、神以外のものに頼ろうとしてしまう弱い心があります。

十字架の主イエス・キリストが与えられているとは、その弱い私たちが神に受け入れられて神のものとされている、ということなのです。私たちは、弱ささえゆだねて、神のみもとに立ち帰ることができます。日ごとに信仰を新たにしていただき、確かな歩みを重ねていきましょう。

藤井 真(千里山教会)