これはわたしの愛する子 | マタイによる福音書 3章

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マタイによる福音書 3章

イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 3章16節~17節

これはわたしの愛する子

神の御子イエスは罪の無いお方であるにもかかわらず、罪を悔いて洗礼を受ける人びとの中に加わってくださいました。それは、主イエスが罪を持たれないまま、しかし、私たち人間と同じように罪人の一人となられたということです。このお方は私たちの罪にまみれ、苦しみに満ちた生活を知らない救い主ではありません。

主イエスがヨハネから洗礼を受けられると、天が開けて神の霊が降り、主イエスは神が愛し喜ばれる子であることが天から宣言されました。いよいよ「愛する子」の時代が始まろうとしていました。

多くの時代、苦しむ民衆のために犠牲になっていった勇敢な人びとはたくさんいたでしょう。しかし、人を罪と死から救うために死ななければならなかった人はイエス・キリスト以外にはおられません。なぜなら、罪を持つ人間は自分の罪も他人の罪も解決することができないからです。その人間の罪を解決するために、主イエスが、神でありながらも、罪なき人間となって来られたのです。

坂本 紀夫