イエスの御名がすべてを包む | コロサイの信徒への手紙 3章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コロサイの信徒への手紙 3章

そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 3章17節

イエスの御名がすべてを包む

神は言葉によって世界を創造し、人間と世界の贖いのため、御子を「言(ことば)」として世に遣わされました。御子イエスは、言葉と聖霊によって世にいる神であられます。つまり、神は言葉という手立てを用いて人間と一つになろうとされます。神は、言葉を通して、人間と世界に近くおられ、いや世のただ中に住んでくださるお方です。

言葉によって、祈りと賛美、告白と感謝によって神に近づくことができること。それは何という幸いでしょう。「わたしたちのすべての言葉と行い」が、神を讃える用具とされます。それだけに、すべての言葉、すべての行いが、神への賛美に用いられるよう、十分に整えられることが求められています。責任は依然として重大です。

「我々がイエス・キリストのものではなく他の主のものであるような、我々の生の領域がある…という誤った教えを我々は退ける」(バルメン神学宣言、1934年)。すべてを主の誉れに帰することは、言葉と生活両面での真剣で誠実な献身と戦いを求めます。弱く崩れやすい私たちを、主よ、支えてください。

小野 静雄(瑞浪伝道所・春日井教会)