救いの確信が与えられるように | ヨハネの手紙一 3章

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ヨハネの手紙一 3章

わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。
愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ(ます)。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 3章14節、21節

救いの確信が与えられるように

善い行いをして救われるのではありません。信仰プラス・ゼロで、信仰によってのみ救われるのです。その溢れるほどの感謝の思いから善い行いが自然に生じます。そういう意味で、私たちは自分の信仰をその実である善い行いによって自ら確かめるのです。

救いの確信ほど大切なものはありません。罪を犯すと、救いの確信が弱められます。しかし、善い行いによって「自分は救われているのだ」という確信が与えられること自体は自然なことです。ハイデルベルク信仰問答書がドイツで出版された1563年にトリエント公会議が終了し、カトリックの対抗宗教改革が勢いづきました。会議では、信徒が救いの確信を持つのは油断をもたらすので危険であり、救われるために信仰プラスアルファ(善い行い)が必要だとされました。

そのころ、日本は戦国時代、「南蛮人」の宣教師たちの霊性、情熱、慈善活動や病院設立等を見て大勢の日本人がキリシタンになった時代です。しかし、信徒が聖書を読むことは許されていませんでした。

ヨハネの手紙一が書かれたのは読者が神の子としての確信を持てるよう、その幸いに招くためでした。

魚本 マーレー(仙台めぐみ伝道所)