ヨハネの手紙一 5章
その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 5章11節~12節
ただ神の義である方に結ばれて
金 度亨(小倉伝道所)
その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 5章11節~12節
金 度亨(小倉伝道所)
2017年6月の聖書日課をまとめて表示します。
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『ハイデルベルク』問61の答はこうです。
「自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが神の御前におけるわたしの義なのであり、わたしは、ただ信仰による以外に、それを受け取ることも自分のものにすることもできないからです」。
義とされるすべての根拠がただ主イエスにあります。このイエスと結ばれているだけで、まるで枝がぶどうの木につながれているだけで、その枝の命が維持できるように(ヨハ15章5節)、主イエスの中にのみ存在する「命」が私たちを支えます。ここでいう「命」とは、本来神の特質を表すものです。「命」とは永遠に持続する量的なものというよりは、永遠の神と真の交わりを可能とする質的なものです。
主イエスご自身、「命」であると宣言されました(ヨハネ14章6節)。永遠の命は人間の努力で得られるのではなく、神が送られた主イエスを自分のものとすることで得られるものです。それは、ただ神が私たちに与える恵みを受け取ること以外には不可能です。私たちはただ信仰によって永遠に主と結ばれているのです。