神の義による神と罪人との和解 | コリントの信徒への手紙二 5章

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コリントの信徒への手紙二 5章

神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 5章18節

神の義による神と罪人との和解

旧約時代、イスラエルの民は、牛や羊などをいけにえとしてささげ、罪の赦しのために神との和解を求めました。しかし、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ローマ3章23節)。そのため、アダムの堕落から始まった人類のすべての罪の問題が解決されない限り、神との完全な和解はありえません。それは今の時代も同じです。

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるため」でした(ローマ3章25節)。

「和解」という言葉には、貨幣を同じ価値のものと交換するという意味があります。神は御子の尊い血潮で私たち罪人の代価を支払ってくださったのですから、神が私たちをどんなに価値ある者と思ってくださっているのかがわかります。旧約聖書には、私たちの罪をすべて主に負わせられたとあります(イザ53章6節)。クリスチャンになっても自分を責め立てる思いから解放されないことがあります。しかし、神ご自身の満足できる和解は、すでに主イエスを通して成就されたのです。

金 度亨(小倉伝道所)