わたしが命のパンである | ヨハネによる福音書 6章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ヨハネによる福音書 6章

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 6章35節、37節

わたしが命のパンである

この世が与えるパンは、確かに、その日の命を支え、美味しいという満足と喜びを与えてくれるでしょう。また、パンだけではなく、この世のさまざまな楽しみが、私たちの生きる命を豊かにしてくれるでしょう。

しかし、人間もこの世のものも、やはり限界があるのではないでしょうか。永遠に私たちに満足を与え続けることはできません。まして、死を前にした時に、それまで自分を支えていたものが役立つ保証はどこにもありません。

主イエスは、「わたしが命のパンである」と、ご自身を紹介してくださいました。その命とは、「終わりの日に復活させること」ができる命です(39、40節)。また、この世での生活において、罪や弱さを覚えることがあっても、決して、主イエスは私たちを外へ追い出したり、失われたままにしておかれたりはなさいません(37、39節)。

主イエスこそが「命のパン」です。この主の招きに応えて、主のもとに行くとき、私たちは飢えることも、渇くこともなくなります。きょうも主のまことの命に生かされていることに、感謝をささげましょう。

藤井 真(千里山教会)