あさのことば

「私がどのような存在でも」

放送日
2005年9月30日(金)
お話し
櫻井良一(東川口教会牧師)

櫻井良一(東川口教会牧師)

メッセージ: 「私がどのような存在でも」

 ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。

 先日、先輩の牧師からこんなお話を聞きました。その教会では日曜日の礼拝が終わると、カレーを準備して、よく食事会をしています。そこに最近、何人かのホームレスの人々が出席するようなったというのです。そして彼らが毎週、熱心に教会にやって来るのはカレーが目当てなのではないかと言うことで、教会員の間で論議が起っていると言うのです。後になってこの話を私が一人の方にお話したところ、その方はすぐにこう答えたのです。「そうですか、その教会はすばらしいですね。もし、ぼくがホームレスになっても受入れてもらえますね」。

 聖書ではファリサイ派と呼ばれる熱心な信仰者たちが登場します。彼らはあるとき、イエス様が「徴税人や罪人」と呼ばれる素行の悪い人々と食事をしているのを見て、「何であんな人と仲良くするのか」と非難しました。どうやら彼らのこの言葉の背後には「自分は彼らと違う、正しい人間だ」、「どんなことがあっても彼らのようにはならない」という驕りの心があったようです。しかし、イエス様は「私は正しい人ではなく、罪人を招くためにやって来た」と答えられたのです。この言葉の通りイエス様は私たちがたとえ今、どのような存在であっても、またこれからどのような者になったとしても。私たちを喜んで迎えてくださる方だと言えるのです。

聖書の言葉
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マタイによる福音書9章13節

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