山下 正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:王よりも大きな方(出エジプト記 6:28-7:13)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
一生懸命に話をしても、まったく聞いてもらえない。そんな経験はないでしょうか。
こちらは真剣に話しているのに、相手は耳を貸そうとしない。それどころか、反発されたり、話を聞く前から拒まれたりすることもあります。
そんなとき、私たちはどうするでしょうか。自分の伝え方が悪かったのだろうか。自分には人を説得する力がないのだろうか。そう考えて、諦めたくなることもあります
今日の聖書には、まさにそのような状況に置かれたモーセとアロンが登場します。神から遣わされた二人ですが、エジプトの王ファラオは、彼らの言葉を聞こうとしません。しかし、神の救いの計画は、そこで止まることはありませんでした。
それでは早速、きょうの聖書箇所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 出エジプト記6章28節~7章13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
主がエジプトの国でモーセに語られたとき、主はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしがあなたに語ることをすべて、エジプトの王ファラオに語りなさい。」しかし、モーセは主に言った。「御覧のとおり、わたしは唇に割礼のない者です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょうか。」主はモーセに言われた。「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った。ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。
主はモーセとアロンに言われた。「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。それぞれ自分の杖を投げると、蛇になったが、アロンの杖は彼らの杖をのみ込んだ。しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。
エジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエルの人々を、神は救い出そうとしておられました。そのために選ばれたのがモーセです。
しかし、モーセがファラオに民を去らせるよう求めたとき、ファラオはその願いを拒みました。そればかりか、イスラエルの人々の労働をさらに厳しくしました。民からも責められ、モーセ自身も、自分にはこの務めを果たす力がないと感じていました。
今日の箇所は、そのような出来事の後に続いています。モーセは、もう一度神の前で、自分の弱さを訴えます。「わたしは唇に割礼のない者です」。つまり、自分はうまく話すことができない。どうしてファラオが自分の言葉を聞くだろうか、と訴えます。
ところが、神はモーセに、話す力を身につけてから行きなさいとは言われません。モーセをファラオに対して神の代わりとし、兄のアロンを預言者とすると告げられます。モーセが神から受けた言葉を語り、アロンがそれをファラオに伝えるようにされました。
ここで大切なのは、モーセ自身の話しの上手下手ではありません。モーセが神の言葉を託され、その言葉を伝えることです。神は、弱さを抱えたモーセを退けませんでした。必要な助けを与え、ご自分の働きのために用いようとされます。
私たちも、自分にはできないと思うことがあります。信仰について誰かに話すこともそうです。家族や友人に聖書の言葉を伝えたいと思っても、何と言えばよいのか分からない。自分の言葉では相手に届かないのではないか。そう感じることがあるでしょう。
しかし、神が私たちに求めておられるのは、自分の力に頼ることではありません。神の言葉を信頼し、与えられた務めに忠実であることです。
続いて神は、ファラオがモーセたちの言葉を聞かないことを、あらかじめ告げられます。神はファラオの心をかたくなにされるので、しるしや奇跡を見ても、ファラオは聞き入れないというのです。
これは、少し難しい言葉です。神がファラオを無理やり悪い人にされた、という意味なのでしょうか。そう単純に理解することはできません。ファラオはすでに神に逆らい、イスラエルの人々を苦しめていました。神は、そのファラオの頑なさをも、ご自身の裁きと救いの御業の中で用いられます。
神の目的は、イスラエルの人々をエジプトから導き出すことです。そして、その出来事を通して、エジプトの人々も、主こそ神であることを知るようになります。人間が神に逆らっても、神の計画を止めることはできません。
その後、モーセとアロンは神の命令に従います。ここで二人の年齢が記されています。モーセは八十歳、アロンは八十三歳でした。神の働きに用いられるのに、遅すぎるということはありません。大切なのは年齢や能力ではなく、神の言葉に従うことです。
そして、ファラオの前で最初のしるしが行われます。アロンが杖を投げると、それは蛇になりました。ところが、ファラオは賢者や呪術師を呼び出します。彼らも同じように杖を蛇に変えてみせました。
神の力が示されたのに、ほかの者たちも同じことをした。これでは、どちらの力が本物なのか分からないように思えます。しかし、聖書はその結末を記しています。アロンの杖が、魔術師たちの杖をのみ込んだ、と。神の力は、エジプトの魔術や権力をはるかに超えていました。
それでもファラオは心をかたくなにし、モーセとアロンの言葉を聞こうとしません。しるしを見れば、すぐに信じるというわけではありません。人間の心は、それほど頑なになることがあります。
ここから、私たちも三つのことを心に留めたいと思います。
一つ目は、自分の弱さを理由に、神の働きから退かないことです。
モーセは、自分には語る力がないと思っていました。しかし神は、モーセを遣わされました。私たちも、自分の力に自信がなくても、神の言葉に信頼して一歩を踏み出すことができます。
二つ目は、すぐに結果が見えなくても、失望しないことです。
祈っても、福音を伝えても、状況が変わらないことがあります。相手が耳を傾けてくれないこともあります。しかし、目に見える結果だけで、神が働いておられるかどうかを判断してはなりません。
三つ目は、神の力を信頼することです。
私たちの周りにも、神の言葉に逆らう力があります。正しいことが通らず、悪いことが力を持っているように見えることもあります。それでも、神の力はそれらに劣ることはありません。神はご自分の約束を必ず実現されます。
モーセとアロンの歩みは、決して順調ではありませんでした。語っても拒まれ、しるしを示しても信じてもらえませんでした。それでも神は、二人を通して救いの御業を進めていかれました。
私たちも、結果を急がず、神の言葉に信頼して歩みましょう。人間の抵抗や私たち自身の弱さを越えて、神の救いの御業は進んでいくからです。


