
新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:ため息が賛美に変わる
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
8月もあと二日でおしまいです。今年も駆け足しで夏が過ぎていったように思います。なぜか9月になると急に気が重くなる、という方が少なくないような気がいたします。クリスチャンでも、いつの間にか、ため息混じりの信仰生活を過ごしていることがあります。そういう時、私たちはもう一度、私たちに与えられている十字架の恵みに目を開かれたいんです。
新約聖書にありますローマ書8章32節には、次のような言葉があります。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」
ここで冷静に確認していただきたいのは、ここで謳われている論理の筋道です。これは、より劣ったものから、より優れたものへの約束ではない、ということです。逆です。これは、より優れたものから、より劣ったものへの約束です。
つまり、「その御子をさえ惜しまず死に渡された」、これはより優れたもので、それに比べれば、それ以外のすべてのものは取るに足らないものである、という意味です。だから、「御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」と、ここでは結論づけることができるのです。
キリストの十字架は、神の愛の頂点であり、最大の犠牲なんです。それに比べれば、私たちの最終的な希望である永遠の命も、神の子の身分も、御国の世継ぎさえも、ほんのおまけに過ぎないわけです。私たちは、もうすでに一番良いものをいただいていて、その上で、最後に加えて与えられるものを希望しているわけです。
この私たちの立場を本当に理解した時、口からこぼれるのは、ため息ではなくて、賛美のはずです。
※あさのことばのプレゼント締切はその週の土曜日です。



