
申成日(広島教会牧師)
メッセージ:年を取るありがたさ
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。広島教会の牧師、申です。2月の最後の日曜日を迎えました。2月は日数が少ないですから、すぐ過ぎてしまう感じがします。
時計の回る速さはいつも同じで、時の流れはいつも一緒ですが、人によって、その速さの感じ方は全く違います。50代後半のわたしですが、子どもの時に感じていることと、今感じている時の速さは、全く違います。「時の流れが遅いな」と一番強く感じていたのは、軍隊にいるときでした。除隊の日々を待ちながら過ごすと、どうしてこんなに時の流れが遅いのか、もどかしい時を過ごした覚えがあります。
年を召しておられる方は特に、「時の流れが速い」と、よくおっしゃいます。子どもの時は、早く大人になりたいと思うことが多いですが、大人の人、特に年配の方は、年を取ることをよろしく思ってない方が多いと思います。人は、この世の中で「生きる」と言いますが、もっと正確に言えば、死に向かって歩みますから、「生きる」というよりも、「死んでいく」と言った方が正しいでしょう。そのことを考えると、やはり、年を取るのはあまり愉快なことではありません。
しかしわたしは、年を取ることが必ずしも「良くない」とは思っていません。人は、年を取るにつれ、いろいろな経験も蓄積されるし、心の余裕もできます。大きな岩から切り取られた石が、長い年月の中で、風や水、そして仲間の石などとぶつかり合って、丸くなる様子を見ると、人間も年を取るにつれ、丸く磨かれていくような気がします。
聖書に、「若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。」(箴言20:29・口語訳)という言葉があります。年を取っている人は、その人らしく生きることによって、美しい姿が現れます。だからわたしは、年を召しておられる方が、無理にして若く見せようと努力するよりも、その年齢に似合った格好と振る舞いが、もっと素晴らしいと思っています。
何年か前に流行った韓国の歌謡の中に、とても気に入った歌詞がありました。年をとっていく中堅歌手が歌った歌ですが、その中に、「わたしたちは年を取って老いていくのではなく、少しずつ熟していくものだ」という歌詞です。
若い時はいろいろと悩みが多く、誰かに相談をすることが多かったのですが、今は、若い人が相談に来ることが多くなっています。若い時は誰かにやってもらうことが多かったのですが、今は、誰かのために役に立つことが嬉しくなりました。若い時は愛されたいと思ったことが多いですが、今は、自分から愛情と関心を示すことが多くなりました。
わたしが務めている広島教会には、102歳のお爺さんがおられます。86歳まで、教会の会計を担当し、92歳まで、自ら運転をして教会に来られました。102歳になった今は、ご家族に助けられて教会に来られますが、その方が礼拝の場に座っておられるだけで、多くの人々に励みになります。
人は、年を取ったら何の役にも立たなくなるのではなく、その年に似合った形で、様々な面で他の人に影響を与えます。だからこそ、老いていくのではなく、「熟していく」という表現が心に沁みてきます。
この番組を聞いておられるあなたは、どれぐらいの年齢の方でしょうか。もしかして、「老いていく」ことに、悔しさや未練があるかもしれません。しかし、「老い」そのものも、神様が私たちに与えてくださった祝福であることを覚え、自分の年にふさわしく、周りの人々と良き交わりを持ちながら生きる、今日の一日となりますようにお祈りいたします。
※ホームページでは音楽著作権の関係上、一部をカットして放送しています。









