
大木信(坂出飯山教会牧師)
メッセージ:私たちの思いを超えて
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。香川県の坂出飯山教会で牧師をしております、大木信です。
本日は、大学入学共通テストの日ですね、これをお聞きの受験生の皆さんが、これまで学んできた成果を発揮できますように、と心からお祈りしております。
聖書は、「人は神によって造られた」と教えています。「人は神が造られた作品だ」ということです。つまり、人は神から造られた特別な意味がある、ということです。また、創世記1章27節には、「神は御自分にかたどって人を創造された」と記されてあります。少し乱暴な言い方かもしれませんが、私たちが「神のかたち」に造られたのであれば、私たちを見れば神が分かるように造られた、という事にもなります。
しかし実際は、私たちを見ても、神を思い浮かべることなどできません。人は本来、互いに助け合い、支え合い、愛し合って生きる存在、文字通り「神にかたどって」造られたのですが、実際は、その様に生きていないからです。争いや奪い合い、ねたみや嫉妬というものが、心の中を渦巻くからです。人は造ってくださった神の思いとは違うことをしているのが現状です。
私たちの思いや力では、この神の思い、「神のかたち」を回復することは出来ません。私たち人間は、いつの間にか、ぼやいたり、嫉妬していたり、羨ましがったりと、負の感情というものが湧き上がってくる存在です。そんな事、これっぽっちも思ってもいなかったところに、突然フッと湧き出てくる。
正しく人生を歩みたい、人に、とりわけ、家族にやさしくしたいと一方で思っているのに、人のことをあれこれと自分の物差しで測り、品定めし、ある時はおべっかを使い、またある時は批判する。互いに助け合い、支え合いたいのに、実際はそこからは程遠い存在なのが、「人」です。そして、人によっては、自分の物差しで自分のことまでも裁いてしまい、結果自分のことが嫌になる、そういう方もおられるのではないでしょうか。
しかし、私たちの思いや力では出来ませんが、神には出来ます。神は、こんな私たちであるにもかかわらず、愛し、憐れんでくださっています。心には思いもよらない悪いことを考えているにもかかわらず、高価で尊い存在として扱ってくださいます。
更には、今は天におられて、目には見えない存在の神さまですから、それを代わりに見える形で地上にお出で下さった、神の子であるイエス様を信じることによって、「神のかたち」を回復させようと導いておいでです。この神の愛から来るお働きを信じて、新しく生き始めようとする人たちこそ、クリスチャンです。
これまで色々と心渦巻いていた自分、不平不満があり、嫉妬があり、批判があり、虚栄心があり、そういう負の思いがある自分、そういう自分の弱さを認めて、悔い改めて、そういった自分にもある負の部分のために、十字架について下さったイエス様を信じて、生き直し始める。
これまでの自分に対抗して、互いに支え合って、助け合って、愛し合って生きる世界が、教会という場所では行われているのです。どうぞあなたも、教会にいらしてください。心からお待ちしております。
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