1月11日(日) マタイ3章
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』マタイによる福音書 3章17節
罪のない神の御子がなぜ、悔い改めの洗礼を受ける必要があったのでしょうか。主イエスはためらっている洗礼者ヨハネに対して、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言いました。
主イエスの洗礼は、神の御子としての栄光を放棄して、律法のもとに生きる者となられたことを意味しています。苦難の僕として、私たち罪人の側に立たれたのです。こうして、主イエスは罪人の一人となり、アダムができなかった従順の道を全うし、義をすべて成就するために、この世に遣わされたお方です。
苦難の僕である主イエスは、預言者たちの預言に従ってユダ族のダビデの子孫として生まれ、律法のもとにご自身を置き、生まれて八日目に割礼を受けられました。そして三十歳になった頃、公的な生涯を歩み始めるにあたって、罪がないにもかかわらず、悔い改めの洗礼をお受けになりました。父なる神は、その従順な姿を喜びとして、「わたしの心に適う者」と言われました。
私たち罪人に寄り添い、私たちと一つになってくださるお方、この主イエスがまさに私たちの王であり、私たちを贖ってくださる唯一の仲保者であられます。
【祈り】
罪人の場所に降りてこられ、私たちの代わりに律法の義を一つひとつ満たしてくださった主に感謝します。









