
唐見敏徳(忠海教会牧師)
メッセージ:神の時を生きる
【高知放送】
【南海放送】
「キリストへの時間」をお聴きの皆さん、おはようございます。忠海教会牧師、唐見です。
今年も、残すところあとわずか。新しい年2026年は、すぐそこまで来ています。皆さんにとって、2025年はどのような年だったでしょうか。
この一年を振り返ったとき、どんなことが思い浮かびますか。最初に思い浮かぶのは、嬉しかったことでしょうか。それとも苦しかったことでしょうか。今年、その後の人生を大きく変える、重大な出来事を経験された方がおられるかもしれません。反対に、特に大きな変化のない、平凡な一年だったという方もおられることでしょう。
聖書の中に、次のような言葉があります。
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時 殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時 泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時 石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時 保つ時、放つ時 裂く時、縫う時 黙する時、語る時 愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。」(コヘレト3:1-8)
これは、「コヘレトの言葉」という旧約聖書の書物に記されている言葉です。誕生と死から戦争と平和まで、14組の対となる出来事が挙げられています。これらは、わたしたちがそれぞれの人生において経験する出来事のすべての領域、いいかえれば、人生そのものを象徴しています。そして、わたしたちが生きる人生の時は、すべて神の御計画のうちにあることを語っています。
「生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時」と人生の時が列挙されていきますが、そこには、一方は良くて、他方は悪い、いう価値判断は含まれていません。また、自分の人生を他者のそれと比較して、幸福だ、あるいは不幸だ、ということを語っているのでもありません。
ただシンプルに、一つ一つがわたしたちの人生の現実として提示されているだけです。そして、わたしたちは、自分の人生を思い通りにコントロールすることは決してできないのだ、ということを明らかにしています。
わたしたちは往々にして、自分の力で人生をコントロールしていると考えてしまいがちです。そして、気づかないうちに、神が定められた時に抗って歩み続けてしまい、人生の袋小路に迷い込んでしまうことがあります。コヘレトの言葉は、そのようなわたしたちに大切なことを気づかせてくれます。
人間は誰一人、自分の思い通りに人生をデザインして生きることはできません。けれども、自らの力ではどうしようもできない出来事の渦中にあっても、希望を持ち続けることができます。なぜなら、わたしたちの人生の時を定められた神は、恵みと慈しみに満ちたお方だからです。聖書が語るまことの神は、母の胎にいる時からわたしたちを知っておられ、白髪になるまで守り続けてくださるお方です。
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」
神の定められた時こそ、わたしたちが求めるべき時です。すべてを支配される神に委ねて歩む者は、決して失望させられることはありません。
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