
中山 仰(花見川教会牧師)
メッセージ:月は見ている
おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
昔々あるところに、泥棒の親子がいました。時々、畑の作物を盗んで暮らしていました。ある晩のこと、今日も泥棒は、子どもを連れて出かけました。目指す畑に着くと、いつもどおり泥棒は、子どもに命じました。「いいか、お父ちゃんがしっかり仕事をしている間、誰かが来たらすぐに知らせるのだよ。」と言い聞かせて、仕事にとりかかります。
しばらくして、やおら子どもが、「お父さん」と声をかけてきました。誰か来たかと問い返すと、子どもは手を伸ばして、「お月様が見ている」と告げました。子どもの心は、まだ悪に染まりきっていなかったのでしょう。父親のしている泥棒は、いけないことだと知っていたのです。だから、皓々と照らすお月さんの光に、良心がとがめたのです。
イエス様は、わたしたちが直接悪いことをしなくても、心に悪意を持つことを禁じられます。心に悪意がなければ、実際の犯罪を犯すことはないでしょう。ですから、その悪意の根本にあるものを根こそぎ捨て去りなさい、とおっしゃいます。
「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。」(マタイ5:30)と言われました。厳しい言葉ですが、「体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」(マタイ5:30)と、その理由が付け加えられています。
もし大けがをしてしまったとき、大きな病気にかかってしまっても、命が助かったらどんなにか嬉しいことでしょうか。命は、お金に換えられません。イエスさまの言葉は非常に鋭いものですが、私たち人間が正しく積極的に生きる方向に招いていてくれます。
そのイエスさまの言葉や行動は、新約聖書に記されています。教会で、聖書から、神の愛を御一緒に学びませんか。









