新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:信仰について~キリスト教信仰の本質~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
今週は、キリスト教信仰について共に考えたいと思います。
キリスト教信仰の中心は、十字架で死んで下さったイエス・キリストの復活です。主イエスは言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)すなわち、主イエスを信じる時、私たちは、たとえこの肉体が死んでも、生きている、いいえ、今すでに永遠の命に生かされている、この約束が与えられているわけです。
私は、この聖書の約束を確信した時、体の中の時限爆弾が取り除かれたような、今まで感じたことがない安らぎを与えられました。そして、この平安を一人でも多くの方に味わっていただきたい、と願うようになりました。そうでないと、死は恐ろしいだけで、全ての人が、本当は死に怯えながら生きているからです。
人が死んでしまった時、その姿を見て疑う人は一人もいません。明らかに死んでいるからです。しかし、その亡骸を見て死を疑わないように、その同じ亡骸を見て命を疑わないのが、私たちのキリスト教信仰です。特に葬儀の席で、地上の生涯を終えて、棺の中に眠っている信仰者の姿を見て、むしろ永遠の命の希望を新たにする、ここにこそ、私どもキリスト教信仰の本質がございます。
今日、お聞きのあなたが、一人も漏れることなく、死の恐怖から解放されて、永遠の命に生かされますことを願います。
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