7月16日(水) ヤコブ4章
「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヤコブの手紙4章6節
心に植え付けられた御言葉を受け入れたキリスト者は、謙遜な者になります。
私たちの周りで起こる争いが大きかろうと小さかろうと、真理のための高尚な闘争のように見えたとしても、ヤコブはそれらがすべて人間の欲望から生じたものであると述べています(1節)。欲望とは、神ではなく他のものに心を置くことを意味します。神は、私たちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられます(5節)。しかしながら、私たちが心を世に置いて、欲望に駆られるとき、世の友となり、神の敵となってしまいます。その結果、人びととも敵対し、争いが生じるのです。
しかし、神は高慢な者を敵とされますが、謙遜な者、すなわち、悔い改める者には恵みをお与えになります(6節)。神の前で謙遜な者は、まず自分の心が世に置かれているという欲望を認識し、その罪を悔い改めます。そして、再び心を神のみに置き、神の助けなしでは生きることができないことを認めます。
「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った徴税人のように(ルカ18章13節)、胸を打ちながら祈ることで、私たちの心が常に神のみに置かれるように願います。
【祈り】
神よ!私たちの心が世に置かれることなく、常にあなたのみに置かれるよう、支えてください。